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露山(畠中清喜)「引っ張りあうばん馬」木炭画・水墨・変形40号 -
露山(畠中清喜)「引っ張りあうばん馬」木炭画・水墨・変形40号 作品全体画像 -
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露山(畠中清喜)「引っ張りあうばん馬」木炭画・水墨・変形40号 額縁裏側画像 -
露山(畠中清喜)「引っ張りあうばん馬」木炭画・水墨・変形40号 プロフィール1 -
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引っ張りあうばん馬
引っ張りあうばん馬
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作品情報
- タイトル
- 引っ張りあうばん馬
- 作家
- 露山[本名:畠中 清喜](ロザン)
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(1887~1958)
謎の馬絵師と言われた伝説の画家
「馬の肖像画家」の異名を持つ畠中露山
愛媛県に生まれ、大正期に十勝地方に移住し、昭和初期に現在の札幌市白石区に居を構えます。しかしその生活は、宿と食事の代わりに農家が飼う馬を描く放浪の旅に明け暮れたといいます。独学ながら、その絵は飼い主が驚くほど愛馬に似ており、評判を聞いて絵を依頼する人は少なくなく、道内各地に作品が残っています。いずれも水墨と木炭によるモノクローム作品で、毛並みの艶や硬さ、斑紋、ポーズや表情の違いによって馬の個性をあらわします。開拓期の運搬・農耕作業のため、寒冷地に耐えられる馬はなくてはならない存在でした。さらに北海道は、軍馬や競走馬の主要産地となり、独自のばんえい競馬を生みます。「北海道遺産」に名を連ねる「北海道の馬文化」、それを育んだ人と馬の絆を、露山の絵は今日に伝えます。
◆観察眼と記憶力に天賦の才を持っていた
馬の肖像画は写生するのではなく、鉛筆で簡単にスケッチを取り、記憶を頼りに自宅や宿泊先で作品にするのが常だった。だが、仕上がった絵は細かな特徴まで実物とそっくりで、しばしば依頼者を驚かせた。「自分が描く絵は、馬一頭分の価値がある」というのが口癖で、気が向かないと頼まれても描かなかったという。
- 技法
- 木炭画・水墨
- 詳細サイズ
- 変型40号(縦34.2×横103cm)
- 額縁サイズ
- 縦39×横107.5cm
- 状態
- 良好
- 備考
- 露山に関する貴重な資料のコピーをお付けします。
農民たちは苦楽をともにした自慢の馬で、綱引きのような『力比べ』を行い、農作業の合間の娯楽として楽しんでいた。やがてそれが、馬の力や丈夫さを競う農村のお祭りとして広まり、『お祭りばん馬』として定着していった。
- 価格
- 売却済み
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作家情報
(1887~1958)
謎の馬絵師と言われた伝説の画家
「馬の肖像画家」の異名を持つ畠中露山
愛媛県に生まれ、大正期に十勝地方に移住し、昭和初期に現在の札幌市白石区に居を構えます。しかしその生活は、宿と食事の代わりに農家が飼う馬を描く放浪の旅に明け暮れたといいます。独学ながら、その絵は飼い主が驚くほど愛馬に似ており、評判を聞いて絵を依頼する人は少なくなく、道内各地に作品が残っています。いずれも水墨と木炭によるモノクローム作品で、毛並みの艶や硬さ、斑紋、ポーズや表情の違いによって馬の個性をあらわします。
開拓期の運搬・農耕作業のため、寒冷地に耐えられる馬はなくてはならない存在でした。さらに北海道は、軍馬や競走馬の主要産地となり、独自のばんえい競馬を生みます。「北海道遺産」に名を連ねる「北海道の馬文化」、それを育んだ人と馬の絆を、露山の絵は今日に伝えます。
◆観察眼と記憶力に天賦の才を持っていた
馬の肖像画は写生するのではなく、鉛筆で簡単にスケッチを取り、記憶を頼りに自宅や宿泊先で作品にするのが常だった。だが、仕上がった絵は細かな特徴まで実物とそっくりで、しばしば依頼者を驚かせた。
「自分が描く絵は、馬一頭分の価値がある」というのが口癖で、気が向かないと頼まれても描かなかったという。
