コンテンツに進む

商品詳細

藤田 嗣治

面影との闘い(小)

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 作品全体拡大画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 版上サイン拡大画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 拡大画像1

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 拡大画像2

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ プレート画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 額縁裏側画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 資料

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 作品全体拡大画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 版上サイン拡大画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 拡大画像1

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 拡大画像2

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ プレート画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 額縁裏側画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 資料

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 作品全体拡大画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 版上サイン拡大画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 拡大画像1

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 拡大画像2

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ プレート画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 額縁裏側画像

藤田嗣治「面影との闘い(小)」リトグラフ 資料

作品情報

タイトル
面影との闘い(小)
作家
藤田 嗣治(フジタ ツグハル)

作家情報

 

1886年(明治19)、現在の東京都新宿区新小川町の陸軍軍医の家に生まれたフジタは、父の上司だった森鷗外の勧めもあり東京美術学校西洋画科に入学。
当時主流であった明るい外光派風の洋画にあきたらず、1913年、26歳の時にフランスに渡ります。



パリのモンパルナスに住んだフジタは、ピカソやヴァン・ドンゲン、モディリアーニらエコール・ド・パリの画家たちと交流しました。
彼らに刺激され、独自のスタイルを追究するなかで、日本や東洋の絵画の支持体である紙や絹の優美な質感を、油絵で再現しようと思いつきます。
手製のなめらかなカンヴァスの上に、面相筆と墨で細い輪郭線を引き、繊細な陰影を施した裸婦像は、「素晴らしい白い下地(grand fond blanc)」「乳白色の肌」と呼ばれて絶賛されました。
1919年にはサロン・ドートンヌに出品した6点の油絵がすべて入選し、ただちに会員に推挙されるなど、フジタの作品はパリで大人気となりました。



1929年、凱旋帰国展のため16年ぶりに一時帰国。
1933年以降は日本を活動の拠点とします。
日中戦争がはじまると、祖国への貢献を願い大画面の戦争画の制作に没頭しますが、戦後は画壇から戦争協力者として批判を浴び、その責任をとる形で日本を離れます。



再びパリに暮らし始め、日本には戻らないと決めたフジタは、1955年にフランス国籍を取得。
1959年、72歳の時にランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、レオナールという洗礼名を与えられます。
最晩年には、ランスに感謝を示したいと礼拝堂「シャぺル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(通称シャペル・フジタ)」の建設を志し、完成から2年後に没しました。
技法
リトグラフ
詳細サイズ
縦7.7×横8.4cm
額縁サイズ
縦35×横36cm
状態
良好
備考
1941年作、レゾネNo,BII.41.28
価格
198,000円(税込)

送料について

日本国内の場合
50,000円(税込)以上で送料無料
海外の場合
別途、送料が発生いたします

ご購入・お問合せについて

別倉庫に保管している作品もある為
実物を店舗でご覧になりたい方は
事前にご連絡いただけるとご用意致します

ご注文方法や送料に関する詳細はこちらからご確認ください

お問合せ