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佐藤照雄「花のマハ」パステル画・20号
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花のマハ

花のマハ

通常価格 297,000円[税込]
通常価格 [税込] セール価格 297,000円[税込]
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作品情報

タイトル
花のマハ
作家
佐藤 照雄(サトウ テルオ)

作家情報

百貨店個展多数

 

1926  朝鮮・京城出身、京城師範学校普通科修
1943  東京美術学校で安井曽太郎教室に学ぶ(海軍招集の為、中退)
1960  新制作展出品(以降7回出品)、個展開催「地下鉄・泉シリーズ」「広野シリーズ」
1971  安井賞展入選(‛73、‛74)
1972  新鋭選抜展出品(‛73年)、個展「続広野シリーズ」
1975  海を描く現代絵画コンクール展入選、現代の裸婦画展、太陽展招待出品(日動画廊、以降出品)、個展(松坂屋本店)
1976  個展(椿近代画廊)
1978  個展「現代リアリズムとは」(伊勢丹)
1979  個展「音楽家」(日本橋画廊)
1981  個展(朝日生命ギャラリー)
1983  個展(松坂屋本店、伊勢丹浦和店、静岡店ほか)
1985  自選展(くまい画廊)
1989  個展(始弘画廊)、現代の裸婦展(日動画廊)
1994  自宅アトリエに絵画教室を開く
1996  個展(練馬区立美術館)
1998  個展(ギャラリー東松山)
2003  逝去(享年76歳)

 

◆自身の哲学である『現代リアリズム』を、生涯追求した写実画で人気を博す
◆「一枚の繪」でも活躍する
◆1982年4月~1999年頃、Maja(マハ)シリーズを描く。マハは、スペインの画家・ゴヤの「裸のマハ」や「着衣のマハ」を連想させ、美しさとエレガンスの象徴として捉えられる

 

◆太平洋戦争敗戦後に、帰国した佐藤照雄は、東京・上野で浮浪者たちを描写した。後の自身の代表作となる「地下道シリーズ」の作成を始める。絵に描かれた人々をとおして、日本の敗戦により同胞達に等しく訪れた悲劇に、深い共感を覚えていく。学徒動員として志し半ばで学業を諦めることになり、戦地に駆り出される事となってしまった自身の運命と重ね、絵に描写することによって通わせていたのかも知れない。同時期に生計を立てるため、東京銀座等で似顔絵書きをしながら、この地下道シリーズといわれる上野での浮浪者のスケッチを1950年代まで続けた。のちに出版社のスカウトを受けて、イラストレーターとして活躍しつつ、兼業で同時に画家としても作品制作をこなしていく。

技法
パステル画
詳細サイズ
20号(縦69.8×横51.0cm)
額縁サイズ
縦90.5×横71cm
状態
良好
備考
1986年作、「一枚の繪」販売作品
価格
297,000円(税込)

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作家情報

百貨店個展多数

 

1926  朝鮮・京城出身、京城師範学校普通科修
1943  東京美術学校で安井曽太郎教室に学ぶ(海軍招集の為、中退)
1960  新制作展出品(以降7回出品)、個展開催「地下鉄・泉シリーズ」「広野シリーズ」
1971  安井賞展入選(‛73、‛74)
1972  新鋭選抜展出品(‛73年)、個展「続広野シリーズ」
1975  海を描く現代絵画コンクール展入選、現代の裸婦画展、太陽展招待出品(日動画廊、以降出品)、個展(松坂屋本店)
1976  個展(椿近代画廊)
1978  個展「現代リアリズムとは」(伊勢丹)
1979  個展「音楽家」(日本橋画廊)
1981  個展(朝日生命ギャラリー)
1983  個展(松坂屋本店、伊勢丹浦和店、静岡店ほか)
1985  自選展(くまい画廊)
1989  個展(始弘画廊)、現代の裸婦展(日動画廊)
1994  自宅アトリエに絵画教室を開く
1996  個展(練馬区立美術館)
1998  個展(ギャラリー東松山)
2003  逝去(享年76歳)

 

◆自身の哲学である『現代リアリズム』を、生涯追求した写実画で人気を博す
◆「一枚の繪」でも活躍する
◆1982年4月~1999年頃、Maja(マハ)シリーズを描く。マハは、スペインの画家・ゴヤの「裸のマハ」や「着衣のマハ」を連想させ、美しさとエレガンスの象徴として捉えられる

 

◆太平洋戦争敗戦後に、帰国した佐藤照雄は、東京・上野で浮浪者たちを描写した。後の自身の代表作となる「地下道シリーズ」の作成を始める。絵に描かれた人々をとおして、日本の敗戦により同胞達に等しく訪れた悲劇に、深い共感を覚えていく。学徒動員として志し半ばで学業を諦めることになり、戦地に駆り出される事となってしまった自身の運命と重ね、絵に描写することによって通わせていたのかも知れない。同時期に生計を立てるため、東京銀座等で似顔絵書きをしながら、この地下道シリーズといわれる上野での浮浪者のスケッチを1950年代まで続けた。のちに出版社のスカウトを受けて、イラストレーターとして活躍しつつ、兼業で同時に画家としても作品制作をこなしていく。

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