コンテンツに進む

商品詳細

モイーズ キスリング

ワイン、花、炎から(出発のワイン)

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画)

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 作品全体拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 版上サイン拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像1

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像2

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像3

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 額縁裏側画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 額裏シール拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 付属品画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 箱拡大画像1

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 箱拡大画像2

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画)

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 作品全体拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 版上サイン拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像1

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像2

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像3

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 額縁裏側画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 額裏シール拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 付属品画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 箱拡大画像1

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 箱拡大画像2

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画)

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画)

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 作品全体拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 版上サイン拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像1

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像2

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 拡大画像3

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 額縁裏側画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 額裏シール拡大画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 付属品画像

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 箱拡大画像1

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画) 箱拡大画像2

作品情報

タイトル
ワイン、花、炎から(出発のワイン)
作家
モイーズ キスリング(KISLING Moise)

作家情報

1891~1953

ポーランド南部の町クラクフでユダヤ人の子として生まれた。
ユダヤ人でありながら本人は無神論者であり、自身の名前モイズも旧約聖書の「モーゼ」を意味することから自身の名前が嫌いだった。
小さい頃から彫刻に興味があり、美術学校の彫刻科に進もうとしたが定員いっぱいで進めず、絵画科で学ぶことになった。
学校でキスリングのデッサン力が認められパリ行きを勧められたことから、1910年パリで学ぶことを決断した。

パリではピカソ、マティス、モディリアーニらと知り合い前衛絵画の技法も学んだが、そうした技法よりも何を描くかといったことに重要性を感じた。
1914年第一次大戦で外人部隊に志願したが戦場で負傷し、治療のためスペインへ、そこでマリー・ローランサンと知り合う。
その後、パリに戻りフランス軍高官の娘と結婚し、個展にも成功し生活は順風満帆の人生が開けていった。
モンパルナスにアトリエがあったことから「モンパルナスの帝王」と言われるようになった。

しかし、第二次世界大戦が始まるとユダヤ人であったキスリングはドイツに占領されたフランスにはいられずアメリカに亡命することとなった。
アメリカでもキスリングの人気は高く、温厚でユーモアにあふれ人づき合いの良い彼は同じ亡命画家たちを経済的に支援した。
戦争が終わりパリに戻ったキスリングは再び精力的に活動をするが1953年病に倒れ、62年の生涯を閉じる。

 

技法
ポショワール(版画)
詳細サイズ
縦28.3×横23.7cm
額縁サイズ
縦55.5×横43.5cm
状態
良好
備考
1952年作
価格
38,500円(税込)

送料について

日本国内の場合
50,000円(税込)以上で送料無料
海外の場合
別途、送料が発生いたします

ご購入・お問合せについて

別倉庫に保管している作品もある為
実物を店舗でご覧になりたい方は
事前にご連絡いただけるとご用意致します

ご注文方法や送料に関する詳細はこちらからご確認ください

お問合せ