グスタフ クリムト
LADY’S PORTRAIT
作品情報
- タイトル
- LADY’S PORTRAIT
- 作家
- グスタフ クリムト(Gustav KLIMT)
-
1862~1918
帝政オーストリアの画家、ウィーン分離派の創設者
1862年、ウイーン郊外のバウムガルテンに7人兄弟の2番目として生まれる。幼少時代はあまり知られてないが、一家の生活は貧困のどん底にあったという。1876年、奨学金を得てウイーンの工芸美術学校に入学するが、ここは美術家を養成する美術アカデミーなどではなく、優秀な職人を育てる場所であった。ここで建築装飾に必要な技法と様式を徹底的に教え込まれた。在学中から大邸宅の天井画などの仕事に携わり装飾職人としての腕を磨いた。工芸美術学校卒業後、間もなく室内美術装飾の会社「芸術家カンパニー」を立ち上げ室内装飾に専念したところ会社は繁盛し「ブルク劇場」の天井画では皇帝から金十字功労賞を授与されるなど腕のいい装飾化として知られるようになった。しかし、1892年、事業の協力者である父と弟が相次いでこの世を去り事業を解散することとなった。
そこから画家としての人生を歩むこととなった。その時代、オーストリアの古い美術体制に不満を持つ芸術家が集まり「オーストリア造形芸術家協会」を設立し、それはやがて「分離派」と呼ばれるようになり、その初代会長に選ばれる。「第一回分離派展」は大成功をおさめ、その後の自由で斬新な作品は大変な評判を呼び人気は高まる一方であった。その後、分離派内での対立などにより分離派の解散など紆余曲折の中、作品「接吻」が国に買い上げられ、国が認めるところとなった。
同時代の多くの芸術家同様、日本や東アジアの文化の影響を強く受けている。日本文化への深い傾倒は、甲冑や能面などの美術工芸品を含むプライベートコレクションからも明らかで、1900年分離派会館で開かれたジャポニズム展は、分離派とジャポニズムの接近を象徴するイベントであった。特に浮世絵や琳派の影響は、クリムトの諸作品の基調あるいは細部の随所に顕著に見て取れる。
詳細2
- 技法
- リトグラフに金箔付き
- 詳細サイズ
- 15号(縦68×横37cm)
- 額縁サイズ
- 縦93×横63cm
- 状態
- 良好
- 備考
- 限定番号(ed,39/150)
- 価格
- 66,000円(税込)
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