商品詳細
熊谷 守一
花と小鳥
作品情報
- タイトル
- 花と小鳥
- 作家
- 熊谷 守一(クマガイ モリカズ)
-
文化勲章(辞退)、「画壇の仙人」と呼ばれる
1880 岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に生まれる
1900 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学
同級生に青木繁がいた
1909 第3回文部省美術展覧会に〈蝋燭〉を出品、褒状を受ける
1910 実母の死を機に故郷に帰り、そのまま6年を過ごす
1916 再び上京して第3回二科会展に出品、
二科会会員に推挙
1930 この頃より墨絵を描き始め、晩年書も書くようになる
1932 豊島区長崎町(現千早)に移り住み、生涯にわたりここで生活する
1940 輪郭と平面による独特なスタイルの油絵になる
1947 二紀会創立会員
1951 無所属作家となる
1964 日本各地でも数多く個展が開かれるようになる
さらにパリで個展を開催
1967 文化勲章を辞退する
1977 8月1日死去 享年97歳息子を商人に仕立てようとしていた父親の大反対を押して東京美術学校に入り、20世紀の開始を祝って、みんなで肌色パンツをはいて御輿をかつぎ気勢をあげた
という。
在学中父の急死と破産にあい、卒業したとき日露戦争だったので、樺太漁場調査隊にやとわれる。
小舟で海岸線を回ったとき、1日の食いぶちをとると網もそのまま砂浜にじっと坐っているアイヌの人たちに魅せられたという。守一は自分でも言っているように、いい絵を描いて褒められようとも有名になろうとも思わず、たまに描いた絵も売れず、長いこと千駄木や東中野の借家を転々として友人の援助で生きながらえてきた。
1932年いま美術館になっている豊島区の千早に越して来た頃から、ぽつぽつ絵が売れて家族を養えるようになる。戦争中も本当の時局が分かるからと新聞の株式欄を見ていたが、株は持ったこともなく金もうけとも縁がなかった。
軍に強制されて、誰かれのように派手に戦争画を描くこともなく、なるべく目だたないようにそっと生きてきた。
何げない身の回りをじっと見つめて、描きたいときだけ描いた。
晩年絵が売れるようになって画商にせつかれてさぞ辛かっただろう。
文化勲章も「お国のために何もしたこと無いから」と断ったが、もともと勲章というものが一番嫌いだった。-
- 技法
- シルクスクリーン版画
- 詳細サイズ
- 縦33×横24cm
- 額縁サイズ
- 縦55×横43.5cm
- 状態
- 良好
- 備考
- 限定番号(ed,153/250)
- 価格
- 99,000円(税込)
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