商品詳細
喜多川 歌麿
名婦詠歌 花鳥風月 鳥 紫式部(復刻版)
作品情報
- タイトル
- 名婦詠歌 花鳥風月 鳥 紫式部(復刻版)
- 作家
- 喜多川 歌麿(キタガワ ウタマロ)
-
江戸中・後期の浮世絵師
本姓は北川。生国には諸説がある。
幼名は市太郎、のち勇助(勇記とも)。
江戸に出て、狩野派の絵師である鳥山石燕に師事し、のちに浮世絵の第一人者となった。
初めは北尾重政・鳥居清長ら先輩の作風を学び、修業を重ねた。
歌麿の号は、1781年(天明一)以後のものである。
1784年、上野池端に居住していた頃、版元の蔦屋重三郎に見い出される。
初めは風景画・役者絵、黄表紙・洒落本の挿絵、錦絵などを描いた。
天明(1781~89)後期には絵入狂歌本の作画も行っている。
その後、美人画に専心し、美人画の天才と称された。
女性の官能的姿態を描いて、歌麿をしのぐ画師は存在しなかった。
大首絵と称される上半身や顔だけを描く手法を取り入れたのも歌麿である。
江戸一の美女といわれた難波屋おきたや高島屋おひさら水茶屋の看板娘を描いた「寛永三美人」などが代表作。
おきたのほか、吉原大文字屋の多賀袖花魁おいらん、松平周防守の侍女だったお蘭などが、歌麿の重要なモデルとなっている。歌麿は時代にも敏感で、世相禁止令に対抗した「判じ絵」や、背景を色で塗った「無線彫り」という技術を考案したのも歌麿である。
歌麿は正妻をもたず、自由気ままな生活の中で多くの女性たちと遊び、画業の対象となした。
しかし、それだけの人気絵師だったため、幕府からはかなり目をつけられていた。
実際、寛政の改革の際には入牢三日、手鎖五〇日の刑を受け、その芸術的生命を絶たれてしまった。
画中に政治批判が見られたというのが口実だが、歌麿の影響力、そして版元蔦屋の急成長が警戒されたらしい。
おもな作品には、『画本忠撰』『婦女人相十品』『歌撰恋之部』『北国五色墨』などがあり、肉筆画も多い。
墓は世田谷区北烏山の専光寺にある。詳細2
- 技法
- 木版画
- 詳細サイズ
- 縦38.5×横26.3cm
- 額縁サイズ
- 縦53×横41.5cm
- 状態
- 良好
- 備考
- 復刻版(ジェノバ東洋美術館で発見された、世界で一枚しか残っていないだろう歌麿の貴重な浮世絵を現代の名工が再現)
- 価格
- 売却済み
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